まずは最初のエピソード。十年は前の「古い」話になります。
その学校も「英語に力を入れている」とうたっていました。
当時の説明会で何と在校生が登場してパフォーマンスを見せてくれました。
それは英語の暗誦でした。
正直言って理解に苦しみました。
暗誦ですから定型です。
そういうものです。
正確な発音で文章を覚えることができる…。
それが何にどうつながるのかということです。
昔の英語教育はそれが先進だったのかもしれません。
別の学校でも同じようなパフォーマンスを見かけた
ことがありました。
会の出席者の前で統一感をもって行うわけですから、
生徒たちの一言一句間違えちゃいけない、という
緊張感も伝わってきます。
「進学校」ではそんな場面に遭遇しません。
ある学校の英会話の授業では
冒頭で先生が指名した生徒との「見本」を提示したあと、
それぞれとなりの生徒と2人ひと組になって、
見本通りリピートしなさい、という場面に出くわしたことも
あります。
見本通り達成できたかどうか、本人たちしか確認のしようがない
授業でした。ペアになった生徒とちゃんとできたフリをすれば、
時間は過ぎていく、そんな気がしたものです。
「英語」に時間を割くということだけに満足してはいけない
という話です。
もちろん学習段階によっては「自信をつける」ことが最優先な
場面もあります。
両極な例では学校説明会で、生徒たちの英語でのプレゼンの様子を
動画で紹介している学校がありました。内容はかなり医学的な研究内容だったと
記憶しています。英語の巧拙以前にプレゼンのテーマとして
そういった先端的な医学分野の題材を選ぶという時点で、
これは一部の優秀な生徒の例に過ぎないのだろうと思うわけです。
それでも、ここで紹介した実例の中では、この英語プレゼン動画が
いちばん「ほぅ~」となることでしょう。
また別の学校ではスピーキング・リスニングに力を入れている様子を
見たこともあります。
「英語耳」は12・13歳の時点で完成してしまう、というような
学説があるようで、中1の時点で、本当の発音をマスターしてしまおう
という授業の趣旨でした。
LとRの差異をはじめとして日本語にはない音、二重母音などの種別を
徹底して叩き込んでいたと記憶しています。
先生曰く「単語の意味はどうでもよくて、音をマスターしてほしい」
しかしながらたとえ30人程度でも多人数の授業ですから
「間違っても恥ずかしくない。間違うほどちゃんと覚えられる」という
雰囲気までは感じませんでした。
自分だったら「いまは意味は知らなくていい」と言われるほど、
即座に辞書を引いてしまいます。
当然クラスには積極的な生徒と消極的な生徒がいるわけですから、
教員が配慮するだけでなく、同じグループ内で気をつかいあうような
精神的な成長も併せて促す必要があります。
中1男子だと、クラスにひとりやふたりは自分が、自分がという生徒が
いて当然です。
こうして英語授業参観の記憶をたどっていくと、なるほど学習レベルに応じた
メソッドが存在することがわかってきます。
「本校は英語教育に力を入れています」というフレーズが前面に躍るほど、
注意深く観察する必要があると言えるでしょう。
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