中学受験における「校風」の問題。

わが子に合った「校風」の学校に、などと言いますが、「校風」とはいったい何でしょうか。

キタシロは「校風」ほどあいまいなものはない、と考えています。

ましてや「わが子に合った」となるとさらにあいまいになります。

「あいまい」と「あいまい」のコラボです。

たとえば学校規模。マンモス校と小規模校ではどちらがよいか。

マンモス校は合格しやすいのです。大規模校といっても桐蔭学園のような学校は

例外的ですが、学年8クラスの学校と3クラスの学校では、前者のほうが合格はしやすい。

ただ小規模校のほうが、目が届きやすい、面倒見がいい印象があります。

しかし小規模校でも人気降下で、生徒数減少の流れの中で「目が届きやすい」は

メリットとはいえません。右肩下がりの学校に面倒見のメリットはないと思うのです。

何歩か譲って面倒見。これも程度問題です。「目が行き届く」と真の「面倒見」は

違います。自主自立の精神を身につけずに、常に教員からアドバイスを受け、それに

頼る環境では十分な成長は望めないでしょう。先輩後輩の関係も含め、

生徒たちが自主的に判断し、道を踏み外さないように教員は距離を置いて見守る、

その空気感を感じるには、体育祭や文化祭がいちばんでしょう。

先輩から受け継がれてきた単なる伝統を継承するだけではなく、その都度都度の自由な

発想が感じられる活動が垣間見えるとしたら、学力だけではない人間力も

磨かれていると言えるからです。

こういった学校の空気は進路実績に如実に反映します。生徒の個性、多様性は進路に

表れます。ここのところ、国公立大合格者数の内訳を見ていて感じるのは、

東工大に受かる力があるのなら、東大を目指さないか?

東大に合格する力があるのに、なぜ京大志望?

それは生徒の選択の自由でしょう。

あからさまにそういう「指導」が存在するかどうかは知りませんが、

結果を見ると明らかにそう「誘導」されている学校もあるわけです。

難関大合格至上主義と結果として難関大に合格しているのは似ているようで違います。

人間、一定の「余力」が生きていくには必要です。

余力の存在があってこそ、いざというときに完全燃焼することも可能です。

まさに文武両道の根源がそこにあるはずです。

私立中高一貫校の中には、学業だけでなく人間教育にも力を入れるという学校も

あります。

ただその結果「校則が厳しい」「違反すると親呼び出し」というのも程度問題でしょう。

人間教育=しつけ・マナー教育でもありません。

いずれにせよ、その学校の校風を知るには学校訪問です。

学校見学と進路実績で70%はわかるとキタシロは考えます。

仮に70%しかわからなくても、その状態で10校訪問すれば「違い」が

自ずから理解できてくるわけです。

受験生本人をホンキにするための学校訪問もありますが、

保護者の選択眼を磨くための学校訪問も意義あるものです。

偏差値表とにらめっこして、塾の担当スタッフに、どんな学校ですか?

と質問する気持ちがあったら、自分で目撃してくることです。

ホンネを言えば校風は合う合わないではなく、

多数の人が納得する教育理念を堅持している学校こそがすぐれた

学校だとキタシロは思っています。結果至上主義や表面上の美辞麗句に

頼っているのかいないのか、偽?の校風にダマされるか、ダマされないか。

失敗の芽を摘むことこそが受験成功の秘訣であると

繰り返しここで言いたいと思います。

そうなると偽の校風にコロッとダマされる、受験動機の脆弱さに

話を戻すことになりそうですね…(笑)。

でもその堂々巡りの部分こそが中学受験のキモであることには

間違いないのです。

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