それぞれの進学塾で勉強の教え方、入試問題攻略の手順は

確立されているものだと思ってます。

ただ自分の経験で言うと、よほどの天才児でない限り、

わかっていく過程というものは必ずあるものです。

簡単じゃない、自信なくしそう…そんなタイミングがどの時点で

訪れるか、そんな問題じゃないかと。

大学受験の段階でそれが訪れるのであれば、かなりの秀才。

それを中学受験ではじゃあ限界までやりなさい、と前倒ししてしまう、

厳しい鍛錬なのではないかと思います。

その結果「自分はできない」と思うか「何とかなるはず」と思うか、

道は二つに分かれてしまうのです。

自信をなくしたところから立ち直る…これは大人なら普通にあることですが、

12歳ぐらいだとかなり傷つきます。ただ、自己治癒の作用が心理面でも

働きますから、「現実から目を背ける」といった反応も含めて、

受験がマイナスに働くことは珍しくありません。

そこで思うんですが、問題を解けない、わからないというのは

設定された時間内で成果が挙げられないということではないか、と。

解けるか解けないかといえば、解けない気はしないけど、遅いから

点数にならないのではないかと。

それを自己分析できる子は、どこかで立ち直ります。

そこが理解できずに敗北感に打ちのめされた子はどんどん自信を喪失します。

某有名進学塾で4年生のトップクラスの教室を見せてもらったことがありましたが、

そこに一人うるさい男の子がいました。

自分は正解を出さないのに、教室の誰かが答えると、「すげーすげー」を連発して

いたのを覚えています。

4年生でまだ敗北感が伴わないというか、幼いだけなのかもしれませんが、

自我の目覚めとともに「友だちはできて、自分はできない」と思い込むように

なったりするのかと思います。

中学受験におけるこの過程はとてもナンセンスだと思うのです。

自信の芽を進んで摘んでいるような状態です。

昔、中学生対象の学年誌を編集していたころ、

数学の「着眼点」の企画を出したことがあります。

正解までたどりつけなかったものの、目のつけどころは良い。

でも、不正解なのは着眼点が合っていようといまいといっしょです。

理不尽だと思ったからです。

なんか大人の世界の成果主義が持ち込まれたようで、不愉快でした。

結局その企画は数学担当者がリアルな構成を立てきれずに、

ボツになりました。

誰でもホメれば伸びる、というものでもないですが、

個人個人の勉強のつまずきは結局見過ごされていきます。

つまずきポイントを自分で気づくような勉強法を

身につけたあかつきには、どんな場面でも自己修復ができるように

思うのですが、中学受験の場合は、その成長過程を待って

くれないので、弊害も起こるのだと思います。

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